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ひろしま食物語 ひろしま食物語

離島の塩田跡地から世界へ挑む

2016年11月執筆記事

広島県豊田郡大崎上島町
ファームスズキ

鈴木隆

 子どものころから生き物が大好きだった鈴木さん。たくさんの生き物に囲まれて育ち、魚釣りを覚えてからは、川でコイ、フナ、ナマズなどを釣っては水槽で世話していたという。水産大学校に進学し、学生時代に魚の加工会社でアルバイトをするうちに、将来は加工会社を起こしたいと思うようになったが、一方で、20代のうちは広く水産を勉強するためにグローバルな仕事をしようと、東京の築地にある大手の水産物卸売会社に就職。9年間、東南アジアで冷凍のエビを輸入し、国内で販売した。
 入社当時、日本はデフレで物が売れない時代だったが、海外の市場にそんな気配はなかった。インドネシアやベトナムなどの加工会社では、欧米の大手スーパーマーケットのバイヤーが100コンテナ単位で成約していく。かたや自分は毎月1コンテナ買うのが精一杯。日本向けの取り引きは「数量が少ない」「値段が安い」「規格に厳しい」と難色を示されることが多く、世界での日本の立ち位置を痛感した。

 子どものころから生き物が大好きだった鈴木さん。たくさんの生き物に囲まれて育ち、魚釣りを覚えてからは、川でコイ、フナ、ナマズなどを釣っては水槽で世話していたという。水産大学校に進学し、学生時代に魚の加工会社でアルバイトをするうちに、将来は加工会社を起こしたいと思うようになったが、一方で、20代のうちは広く水産を勉強するためにグローバルな仕事をしようと、東京の築地にある大手の水産物卸売会社に就職。9年間、東南アジアで冷凍のエビを輸入し、国内で販売した。
 入社当時、日本はデフレで物が売れない時代だったが、海外の市場にそんな気配はなかった。インドネシアやベトナムなどの加工会社では、欧米の大手スーパーマーケットのバイヤーが100コンテナ単位で成約していく。かたや自分は毎月1コンテナ買うのが精一杯。日本向けの取り引きは「数量が少ない」「値段が安い」「規格に厳しい」と難色を示されることが多く、世界での日本の立ち位置を痛感した。

 ファームスズキでは現在、牡蠣、車海老、アサリを養殖しているが、スタートのきっかけは「牡蠣」だった。海外の市場を見て、牡蠣が世界中で食べられていることを知った鈴木さんは、当時、日本の牡蠣を海外に販売する人がいなかったことから起業。2008(平成20)年にケーエス商会(株)を設立し、尾道の会社が製造する牡蠣フライやむき身などの冷凍加工品の海外向け販売を始めた。

 当時、日本の牡蠣のむき身や牡蠣フライなどの冷凍加工品は海外で認知されておらず、現地の輸入業者と一緒に外食チェーンやスーパーなどを営業に回った。そして気づいたのは、冷凍品はミドルマーケットまでしか売れないということだった。ホテルや高級レストランなどハイクラスのマーケットは、活きた牡蠣はたくさん使うが冷凍品は扱ってもらえず、活きた牡蠣は100%欧米から輸入されていた。
 ある時、顧客から活きた牡蠣を求められ日本の牡蠣を輸出したが、大クレームに。形が悪く、身入りが不安定だと言うのだ。比較されているのは欧米の牡蠣。何が違うのかよく調べてみると、養殖方法が全く違う。日本の主流はいかだだが、海外はかごで養殖される。ではなぜ養殖方法が違うのか。それはマーケットの違いだった。日本はむき身のマーケット。広島の牡蠣はほとんど「打ち子さん」と呼ばれる人が殻をむいたものが流通する。しかし欧米は逆で、ほぼ9割以上が殻付きの状態で流通し、100%生で食される。
 日本で主流のいかだ式はむき身を大量に生産するには最高の方法で、かご式は、殻付きで活きた状態で提供する牡蠣を生産するのに適している。二つの養殖方法の大きな違いは密度。いかだは超高密度で、1平方メートルあたりの個数はかごの100倍にもなる。高密度のいかだで育つと牡蠣が互いにくっつき合い殻がいびつになりやすいが、最終的にむき身になるので問題ない。身入りに差が出てもむいてから選別すれば良い。しかし欧米では、一粒一粒殻の形が整い、身入りがしっかりしていないと商品として認められない。形も身入りも安定した欧米の牡蠣は、アジアでもハイクラスのマーケットで流通している。海外でそのような牡蠣と競争するにはいかだでは難しいと考え、鈴木さんは欧米式のかごでの養殖を始めることにした。

 牡蠣といえば広島。生産量は全国でも断トツで、歴史も長い。ケーエス商会のパートナー企業が尾道を拠点にしていることもあり、広島で養殖できる場所を探すことにした。約1週間、広島県の福山市から廿日市市まで海岸線をめぐり、出会ったのが、大崎上島の塩田跡地であるこの場所だった。
 塩田跡の池はエサが豊富。さらに海と違って水深が浅いので太陽光がたっぷり入る。このような環境では、牡蠣のエサとなる植物プランクトンがよく繁殖するため、美味しい牡蠣が育つ。フランスでは塩田跡での養殖が有名で、クレールと呼ばれる塩田跡地の養殖池で育った牡蠣は高品質に定評があるという。鈴木さんは、この場所なら、フランスと同じように美味しい牡蠣が育つのではないかと考え、この場所で養殖業を営むことを決意。こうして、2 0 1 1(平成23)年、大崎上島の塩田跡にファームスズキが誕生した。

 開業当初からの目標は、ここで種苗(稚貝=赤ちゃん)を生産し、その種から育て、育てたものを食べる。そんな循環が丸ごとかなう空間にすること。最初の5年間は環境を把握し、生産量を伸ばす態勢を整えることに専念。種苗づくりから着手し、技術的にも設備的にも整備し、この場所に適した育て方を徹底的に研究してきた。開業して5〜6年くらいでやっと計画通りに生産できるようになったという。そして2016年3月、ここで育てたものを食べられるレストラン「ファーマーズキッチン」が敷地内に完成。当初描いていた循環が実現した。

 牡蠣からスタートした養殖業だったが、1年目から車海老の養殖も開始。実はこの池はもともと車海老の養殖場だったという歴史がある。全盛期は50~60トンもここで養殖していたが、1994(平成6)年に廃業し、広島県産の車海老はゼロになってしまった。鈴木さんは、養殖場を探すために滞在した時、ここが車海老の養殖場だったと聞き、広島県産車海老を作ってみたいという気持ちが芽生えた。さらに、かつて特産品だった車海老をもう一度作ってほしいという島民の声にも背中を押された。

 この地は江戸時代後期から塩田として活用されていたが、昭和30年代に製塩方法が変わったことで塩田が使われなくなった。ちょうどそのころ車海老が完全養殖できるようになり、塩田跡がこぞって車海老の養殖場に変わっていった。高度経済成長とともに養殖技術も向上し、市場に出せば1キロ1万~2万円の高値が付き、育てれば育てた分だけ売れる時代が続いた。しかし、平成に入るころ、中国から輸入した稚海老を入れるようになると、あっという間にウイルスが蔓延。全国的に海老ができない年が3年くらい続き、バブル崩壊後の価格暴落などのあおりも受け、ここも廃業に追い込まれた。
 それから約10年後、鈴木さんの手によって、広島県産車海老復活への挑戦が幕を開けた。そして復活した車海老はやがて、大崎上島や竹原の人たちの思いを原動力に広がっていった。

 ファームスズキではアサリも育てている。もともとこの池にたくさん繁殖していたが、全国的にアサリの生産量が少なくなり、農水省からの依頼で稚貝の生産を始めた。牡蠣、車海老、アサリは同じ池で育てるのだが、一緒に育てるにはメリットがある。車海老の餌は魚粉やイカミールなどが含まれた配合飼料で、池にとっても良い肥料になる。太陽光が行き届く栄養たっぷりの池で、植物プランクトンが光合成をして大量に繁殖するので、それを餌にする牡蠣やアサリがしっかり育つというわけだ。

ファーム鈴木公式サイト
https://www.farmsuzuki.jp/

ファームスズキオンラインショップ
https://shop.farmsuzuki.jp/

FARMER’s KITCHEN

養殖場内の小さなイートインスペース FARMER‘s KITCHEN(予約制)
〒725-0231 広島県豊田郡大崎上島町東野垂水37-2

HIROSHIMA KAMINOBORI BASE

事務所 兼 小さな販売スペース
〒730-0014 広島市中区上幟町10-23

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掲載記事内容は取材当時のものであり、
現在の内容を保証するものではありません。