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ひろしま食物語 ひろしま食物語

都会から島へ。飲食店から農園へ

2023年2月執筆記事

尾道市瀬戸田町高根
大野農園

大野 徹哉

 「一日300〜400人のお客さんを相手にしていましたから、家族や限られた人としか顔を合わせない毎日に、最初はちょっとおかしな感覚でしたね」。2021年秋に高根島に戻ってきて就農した大野農園の大野徹哉さんは、それまで千葉県でフランチャイズ展開する飲食店で、店長を務めていた。
 大野さんは高根島で生まれ育った。三原の高校に進学し、卒業後は関東でいくつかの職を経て、22歳で前職の会社に入社。仕事も順調、結婚して二人の子に恵まれ、これからも向こうで暮らしていくことに何の疑いもなかった。
 変化が訪れたのは約一年半前、大野さんが島で就農することになったきっかけは、父親のけがだった。3年前に農作業中の事故で腕が不自由になったのだ。その後も両親がなんとか農園を切り盛りしてきたが、今後のことも考え、大野さんに戻ってこないかと相談があった。子どもの転校など家族の生活を考えると即答はできなかったが「父親の話では利益が出て経営はうまくいっているとのことだったので、このままなくしてしまうのはもったいない。自分の家族を養っていくことができるなら考えてみようと思って」と、悩み抜いた末に前職を退職し、家族は千葉に残して単身、高根島に戻って実家の農園に入った。

 しかし現実は少し違った。父親から聞いていたほど経営状況は良くなかったのだ。「嘘をつくつもりはなかったと思いますが、昔気質の父親の性格からして、困っているから助けてくれと息子に頭を下げるようなことはできず、ああいった言い方になったのでしょうね。話が違うって、大げんかしましたよ」と苦笑い。
 憤る気持ちはあったが、かといって自分が断ったら両親は生きていけなくなってしまう。とにかくやるしかない。そんな思いでこの島に留まった。実家で両親と共に暮らし、父親から教わりながら農作業に勤しむ日々。何も分からないまま過ぎた一年でまだまだ勉強中ではあるが、一通りシーズンの作業を経験してみて、手応えを感じられる部分もあったという。
 「僕が帰るまでは親父が片手で管理していたから、手入れが行き届かなくて畑は荒れていたし、予防も十分にできていませんでした。だからといって畑を減らして単価を上げようという発想もないので、とにかく収量を求めて、でも管理しきれないから品質が落ちて、単価が下がるという悪循環に陥っていました。というわけで、うちは現状ではあまり利益が出ていません。だから長畠さんをはじめ周りの人たちにいろいろ教えてもらって、自分なりにつくり方や売り方を変えながら、利益を出せる農園にしたいと思っています。やめるなら、やれるだけやってから。半分は失敗してもいいというくらいの気持ちでいます。農業自体には可能性を感じているので、今は勝負してみたいですね」。

 大野さんが戻ってからの一年は必要な管理ができたため、去年に比べて品質も良くなっているそうで「ちょっと手を加えるだけで結果が変わってくる。まだまだ甘いと思いますが、手をかけた分の成果が目に見えるといった変化を、この一年で実感できたのは良かったですね」と、ひとまず胸をなで下ろした。
 子どもの頃も農作業を手伝ったことはほとんどないという大野さんだが、両親が働く姿を見て、また世間一般のイメージから、漠然と大変そうだなとは感じていたという。しかし実際に一年間働いてみて、農作業自体は特別きついとは思わないとのこと。「前職では半日以上毎日ほぼ立ちっぱなしだったし、一時期プロボクシングで戦っていたので、体力にはそれなりに自信があります」。なるほど、それなら精神的にも肉体的にも、厳しい環境に耐性があるのもうなずける。
 しかし技術的な面となれば、話は別だ。「難しいなと思います。商品をつくって提供するという意味では前職の飲食店でも同じですが、以前は一日かけて仕込んだものを翌日出して、また仕込むという一日ごとのサイクルでしたが、柑橘栽培は一年でようやく一つのサイクル。10年で10回しか試すことができませんし、そこに気候などいろんな条件が重なってくる。すごく難しいと思います。その分、結果が出たらうれしいですよね」。

 かつて島を出るまでは、高根島の柑橘が特別おいしいという認識は全くなかった。「自分の家のみかんしか食べたことがなかったので、比べることもなかったし。関東でも家から送られてくるものを食べていたから、自分で買うこともありませんでした。ただ、知り合いにおすそ分けした時においしいと喜んでもらえて、それから、うちのみかんはおいしいんだなって思うようになりました」。あとはおいしい柑橘をいかにたくさんの人に食べてもらうか、それが今の課題だ。
 18歳で関東に出てからは仕事が多忙だったこともあり、22年の間で里帰りをした記憶は両手で足りるほど。あらためてこの島に腰を据えることになり、故郷の姿は大野さんの目にどのように映っているのだろうか。「昔と比べれば、若者は確実に減っていますね。その代わりに外から来ている人は増えているように思います。観光だったり、新しいお店だったり。商店街はさびれているし、昔よりも活気があるとはいいませんが、完全に廃れているというわけでもない、そんな印象ですね」。
 今回帰ると決めた時「先祖から受け継いだものを守ろうとか、そういう気持ちは正直全くありませんでした」という大野さん。当事者として携わることによって農業への向き合い方は変わり、ここで勝負する覚悟もできた。農園経営を軌道に乗せたいという思いの先には、家族の存在がある。今は家族と離ればなれ。いつまでもこのままでいいとは思えないが、今はまだ呼び寄せることはできない。では将来家族が幸せになるためにベストな形は…。まだ答えを見出せないまま、悩ましい日々が続いている。大野さんにとって、柑橘農家としての二年目が始まった。次に大野農園が橙色や黄色に色づく頃、農業と、家族と、大野さんの未来には、どのような景色が見えているのだろう。

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掲載記事内容は取材当時のものであり、
現在の内容を保証するものではありません。