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ひろしま食物語 ひろしま食物語

自分には蛸壷漁が合っとる

2017年11月執筆記事

三原市久井町
三原市漁業協同組合

三原市漁業協同組合

 濵松組合長の幼なじみである赤穂さんは、曽祖父の時代から三原で漁師をしている家系。父親は兵庫県の赤穂市出身で、戦争から帰還したのちに養子として三原に入り、蛸壺漁を継いだそうだ。その家に生まれた赤穂さんは子どもの頃から父親と一緒に船に乗り海に出るのが大好きだった。「親父が遊漁船を出す時にはよく乗せてくれた。子どもだからお客さんが遊んでくれてね」と懐かしそうに笑う。
 中学を卒業すると町工場に就職。当時はまだ両親共元気だったこともあり後を継ぐ気はなく、その後、三菱重工に転職したが、体調を崩した親の手伝いで少しずつ船に乗ることが増え、そのうち漁師に専念するようになった。「海は好きじゃったが漁師にはなりたくなかった。サラリーマンなら日曜は休み。友達はみんな彼女と楽しそうに車で出かけるのに、漁師は雨が降らないと休みはないじゃろう」それでも、これが自分の道だと受け入れることを決めた。
 赤穂さんが漁を始めた頃は、遠浅の三原では質の良い海苔が豊富だったため、赤穂さんは海苔の養殖を手がけていた。しかし寒い時期に朝早くから夜遅くまで作業が続き設備にもコストがかかるという厳しい環境を「若い頃だからできた」と振り返る。

 赤穂さんが漁師になったのは25歳の時。海の環境は大きく変わり、今は海苔はとれなくなり、とれる魚もだいぶ変わったという。現在は蛸壺漁一筋。「蛸壺漁が自分には一番合っとる。昔からやってきた商売だから、体に染み付いとるよね。サラリーマンの頃は午前1時に起きるなんて無理だったけど、今は漁に出る日も出ない日も同じ生活リズム」。
 「今は海は嫌いよ(笑)。メシのタネじゃけえしようがない」冗談ぽく笑いながらも「よその蛸とは全然違うよ。刺身にしても湯がいても、やっぱり、うまいっ!」と三原の蛸に胸を張る。三原沖は潮の流れが速いため、蛸もよく動き身がしまっている。海が冷たくなると大きな蛸が増えるので「冬はルンルン気分よ」と笑う。自分で料理するという赤穂さんのお気に入り蛸料理は、母親がよく作ってくれていたという炊き込みご飯だ。

 世間では魚といえば切り身しか見たことがないという子どももいるくらい自然との関わりが薄れていることが懸念されるが、三原ではブランド化されるずっと前から、水産教室で自分たちが暮らす町の特産品である蛸について子どもたちが学ぶ機会がある。第一回の教室を受けた5年生が社会人になるくらいの年月が経つという。
 赤穂さんには息子がいるが、会社勤めで、今のところ後を継ぐ人はいないし、蛸壺漁は道具一式揃えるのに大きな投資が必要なため、新規参入のハードルも高い。先のことを考えれば楽観的ではいられないが、それでも自分たちがとる蛸が三原やっさタコとしてブランド化され、多くの人に食べてもらえることに、地元の人たちはみんな喜んでいるという。「昔から、後継ぎがいなければ自分の代で漁師は辞めにゃいけんとどこの親も言っていたけど、そのうちその息子が乗るようになって、そのまた息子が…というように、ずっと続いている。だからわしらがおらんようになっても、きっと誰かがまたやるじゃろう」と赤穂さんは希望を持ち続けている。
 さらに「誰もおらんようになったらしようがないわ。それも時の流れよ。そのうちに今度はロボットがしてくれるようになるじゃろう。わしが賢かったら、ドローンで見ながら無人で船を動かして、家でテレビを見ながら蛸壺を揚げられる研究をするよ。十年一昔っていうけど、そんな時代が来るかもわからん」。なんともユニークな発想だが、赤穂さんがそう言って笑うのを見ると、遠くない未来に期待したくなる。100歳になった赤穂さんはどんな方法で蛸壺漁を楽しんでいるのだろう。

三原市漁業協同組合公式サイト
http://www.miharashi-gyokyou.com/

三原市漁業協同組合オンラインショップ
https://yassatako.theshop.jp/

三原市漁業協同組合
〒723-0013 広島県三原市古浜1丁目11‐1
Tel. 0848-62-3056

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掲載記事内容は取材当時のものであり、
現在の内容を保証するものではありません。