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ひろしま食物語 ひろしま食物語

僕らは「伝統文化」の継承者

2018年1月執筆記事

広島市安佐南区川内
広島若農家の会

広島若農家の会

 広島菜発祥の地であり、広島県内一の出荷量を誇る川内の事情は決して楽観視できるものではなく、生産者は危機感を抱いている。しかし同時に、代々この地で受け継がれてきた広島菜に誇りを持ち、守るべき宝であると信じて未来を描く若農家もいる。

 「川内若農家の会」は2年半ほど前、川内で農業に従事する若い世代で集まって交流を深めようとスタートした。知人への声かけや紹介で徐々にメンバーは増え、現在12名。年齢は30代~40代で、代々農家という人もいれば新規就農した人もいる。彼らの親世代もまだ現役で活躍しており、会合や行事などで親同士が顔を合わせることがあっても、息子世代のつきあいはほとんどなく、顔や名前は知っていたけれどきちんと話したのは若農家の会で出会ってからというメンバーが多い。
 今回集まってもらったのは7名のメンバーだが、とにかくみんな楽しそうで仲が良い。誰に聞いても「若農家の会に入って良かった!」と口をそろえる。基本的に自分の家、自分の畑とだけ関わってきたのが、みんなで集まることで視野が大きく広がりモチベーションが格段に上がったようだ。情報を交換し、分からないことや困ったことがあれば相談し、知恵を出し合う。伝統的な生産地ゆえか、プライドを持ってそれぞれに独自の技術を磨いてきた各農家が他人に教えを請うということもなかったという、それまでの見えない垣根はどんどん低くなっている。そんな若者たちに刺激を受けて、親世代の意識も内から外へと変わり始めているという。
 若農家の会の集合場所は基本的に地元の飲食店。若者が集まってワイワイ飲むのは珍しくないが、話題はどこまでも農業の話。悩みや問題点、新しくキャッチした情報、今後の課題、広島菜の未来…テーマは尽きない。これから川内の広島菜を背負って立つ若者たちが、こんなにも生き生きと農業を語り、未来を描き力を合わせている。これほど頼もしいことがあるだろうか。彼らを見ていると、この先もずっと広島菜を食べられそうだなと勝手に期待し、感謝し、うれしくなる。

 川内で広島菜を守り続ける農家のおかげで、今年の冬もこの町のあちこちで、深い緑色に覆われた畑を見ることができた。10年先も100年先も、広島菜が私たちの身近な存在であるために、広島以外にももっと広く届き愛されるように、産地の声に耳を傾け、もう一度その価値を振り返ってみてはどうだろう。

 宅地化が進むにつれ、川内では、古くからこの地域で農業を営む人、新たに転入しここを生活拠点に市街地に働きに出る人、さらに、専業から兼業に変わった農家の人や、農業を辞めて隠居生活をしている人など、さまざまな生活スタイルが混在するようになった。
 多くの世帯が農業を生業にしていた時代とは違い、自ら農業に携わった経験のない住民が増えるにつれ、互いの事情を考慮できず、たとえば早朝の農作業で使用する機械の音が近所迷惑になるなど、農家とそうでない人とのトラブルも発生するようになり、農業で生計を立てている住民たちは、これまで通り農業を続けていくために地域住民の理解を得ることが必要になってきた。
 同時に、新たに仲間入りした人たちに、自分たちが住む地域にはこんなに素晴らしい伝統野菜・広島菜が伝わっているのだということを知ってほしいという思いも強くなった。そこで、農家自らが地域の行事や小学校などに出向いたり、職業体験に招いたり、子どもたちを含め地域住民と積極的に交流を図っている。
 たとえば川内小学校では1998(平成10)年頃から「総合的学習」として、川内の地域文化や広島菜について学ぶようになったという。現在は小学校3年生を中心に広島菜の授業を開講。「広島菜の話」から始まり「種まき」「定植」「収穫」「広島菜の漬け込み」「給食での広島菜のレシピ作り」に取り組んでいる。児童が作った広島菜漬は漬物工場で袋詰めし、少量ではあるが販売されている。
 子どもたちが地域の文化に興味を持ち魅力を肌で感じられる機会は、大変貴重なもの。その時代、その地域にとって最善の形を模索しながら、これからも川内の農業が生き続けることを願う。

 先日、ある地域に伝わる民芸品の創作技術を継承し保存と普及に努めている人に会った。その人は「何事も意味がなければ残っていかない。ずっと残っているのは意味があるからだ」とある人に言われたのがずっと心に残っているという。今回、川内の広島菜を取材するうちに、何度もこの言葉を思い出した。広島菜は残るべくして残っているのだ。
 約130年前に川内にやってきた小さな種から始まった長い長い物語。改良に改良を重ね、ある日、ここ川内で見事な葉を広げた広島菜は、育てること、食べることを通じて人々の暮らしに定着した。各農家が理想を求めて切磋琢磨し、やがて自分たちが創り上げる広島菜とそれを育む豊かな川内の風土に独自の価値を見出し、誇りを持つようになった。そしてこの素晴らしい財産を後世に伝えたいと願い、受け継いだ者はまた次代にバトンをつないだ。そうやって今日まで長い間大切に守り継がれ、今現在バトンを握りしめている若者たちがまた、未来に向けて走り始めている。

 広島菜が歩んできた歴史を知れば知るほど、広島菜は一農作物にとどまらない「伝統文化」だ。もちろん、一農作物としての評価は高く、経済活動として成り立たせることで、川内の農業を強くし存続させていく役割を担うことも重要だ。
 もし経済的側面だけを評価するのであれば、病気に強く、安定した品質のものが数多くとれるようにどんどん種を改良して大量生産し儲けを追求すればいい。でも、先人たちは決してそうはしなかった。あくまで代々種を受け継ぎ、素晴らしい宝をいかに遺していくかにこだわってきた。これはもう農作物という観念ではなく、文化的財産として捉えるべきではないだろうか。
 一度途絶えた種は二度と芽を出さない。広島菜が川内の冬を深緑に彩り生き生きと輝いている今のうちに、伝統文化として見つめ直し、100年先の子孫たちが「遺してくれてありがとう」と思えるように、それぞれの立場でできることを考えよう。とりあえず、今夜漬物を食べるなら、野沢菜ではなく広島菜を、冬になったら牡蠣と一緒に広島菜を、手に取ろう。

かわうちのち公式サイト
https://kawauchinochi.com/

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掲載記事内容は取材当時のものであり、
現在の内容を保証するものではありません。