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ひろしま食物語 ひろしま食物語

夢を受け継ぐ次世代が集結

2022年1月執筆記事

東広島市八本松町
アグリ・アライアンス(脇農園)

脇 伸男

 アグリ・アライアンス(脇農園)では、脇さんの思いを受け継ぐ次世代が着々と成長中。別の道を歩んでいた長男の脇伸哉さんと智美さんご夫妻、三男の脇大輔さんの三人も、約5年前から順々に参加し、父とが見る夢をかなえるべく、さらに大きな未来を創るべく、家族と仲間たちと共に日々汗を流している。

 三人の中で最も早く農業に入ったのは智美さんだった。伸哉さんと智美さんは関東で暮らしていたが、東日本大震災をきっかけに、家族はそばにいた方がいいのではないかと考えるようになり、約8年前、広島に帰ってきた。
 広島に戻って二人とも農業ではなく別の仕事に就いたが、5年前、伸男さんが足の調子を崩したことから、智美さんは仕事を辞めて農業を手伝うこととなった。智美さんは東広島市志和町の兼業農家で育ったため、農作業に抵抗はなかったが、農家に嫁ぐつもりは全くなかったという。伸哉さんと結婚した当初、伸男さんはまだ農業を始めていなかったため「まさかの展開でした」と笑う。
 就農当初は前職が恋しくなることもあったが、自分と同じように農業に励む女性の知り合いが増えると、自分も頑張ろう! と前向きになれた。暑い日も寒い日もあるけれど、自然の中でのびのびと体を動かすのも悪くなかった。
 現在は全国の農業女子発「アグリバトンプロジェクト」に参加。このプロジェクトは、農業を子どもの憧れの職業にすることを目指し、農業の楽しさや食の大切さなどを分かりやすくまとめた絵本を制作して、全国の子どもたちに届けるというもの。収穫体験などと一緒に絵本の読み聞かせをするといった取り組みを進めている。「まだこれからですが、全国につながるといいですね。新たな楽しみを見つけました!」と意欲的だ。
 伸哉さんとは別で自分だけが農業に就いていることをどのように感じていたのか聞いてみると「(伸哉さんに)助けてもらえればありがたいなという気持ちもありましたが、サラリーマンを辞めて早く入ってほしいと急かすことはありませんでしたね。いずれ家族でできたらいいなと思っていました」。
 伸哉さんが参加したのは2019年2月だった。両親から農業を継いでくれと頼まれたことは一度もなく、ずっと別の職に就いていたが、広島に戻ってからは、仕事は別ながら週末には手伝いで一緒に畑に出ることも多くなった。
 伸男さんの仕事を間近で見て話す機会が増えたことで、次第に気持ちが農業に傾いていった。「父が土について熱く語り、母も一緒に頑張っているのを見て、父と母が年を取ってやめてしまったら、こんなに情熱を注いでつくってきた土は他人の手に渡るか、畑が荒れ地になってしまうか…誰かが引き継がなければと考えるようになりました」。
 そう思い始めた当初は、両親もまだ元気だし、今すぐじゃなくてもいいかなと思っていたが「父や母の思いを引き継ぐなら、今のうちに、できるだけ多くの時間、一緒に畑に立つことが大事だと気づいて。だから早く一緒に働きたいと思って、仕事を辞めました」。
 妻の智美さんとも共通の話題ができたことで会話が増えたという。前職の時は家庭に仕事の話を持ち込むことはなかったが、今は一人で悩む必要はなく相談できることが心強い。智美さんと話しているところに子どもたちも参加してアイデアを出してくれるそうで、若い世代の声がまた大いに参考になるという。

 伸哉さんの約半年後、2019年7月から参加しているのが三男の大輔さんだ。大輔さんは広島市内で料理人として働いていたが、伸男さんから、これから落花生でピーナッツペーストなどの加工品の製造に本格的に取り組みたいので、それらの「味」を左右する重要な役割を担ってほしいと声がかかった。
 「父から聞かされた話がとても壮大で、大きな責任のあることだから、これは人に任せるのではなく、自分が引き受けなければ! という気持ちになりました。料理人の仕事は好きで、自分は料理人として生きていくものだと思っていたので、その話がなければ、今も料理人を続けていたと思います」。前職の都合上、即退職とはいかなかったが、決断から約1年で飲食業から農業へと転向することとなった。
 「仕事柄、数多くの食材を味わってきましたが、父が作った野菜を使うといつものレシピをガラリと変えなければいけなくなるくらい、ほかと違う。初めて店で使ったときは衝撃的でしたね」。
 以前は料理人として、今は農業者として、立場が変わって食材を見る目も変わったのだろうか。「野菜を購入する消費者の方にも、野菜を使う料理人の方にも、野菜そのものの違いをもっと分かってほしいという思いが強くなったかもしれません。自分自身もその違いに気づいた一人ですから。普段はみんなと一緒に農作業や圃場の土木工事をしているので、そういった大変な過程を知った分、これだけのことをしたから、こんなにおいしいものができるのだと、自信を持って伝えられるようになったと思います」。

 三人が伸男さんのことを話す時「スケールが大きい」という表現がたびたび聞かれた。スケールの大きい話は好きだという伸哉さんも「父のスケールがあまりに大きくて、それを目の当たりにしてきたので、僕自身は確実路線で、石橋を壊れるまで叩いて渡ろうというタイプになったのかも(笑)」と自己分析するくらいだ。
 伸男さんは60歳で農業を始めるまで、鉄工所を経営していた(今も存続)。子どもの頃は夏冬の長期休暇以外は一緒に遊んだ記憶がほとんどないと、伸哉さんと大輔さんが口をそろえるくらい仕事人間だったようだ。
 さらに、伸哉さんも大輔さんも、脇家の三兄弟は全員アメリカの高等学校に進学し、それぞれ大学や専門学校を出た後は就職して長年家を出ていたため、親子で会話を交わすのは実家に帰省した時くらいだった。
 だからある時、鉄工所一筋だった父が農業を始めたと聞いて、二人ともとても驚いたという。「でも規模の大きさを聞いて納得しました。父ならそのくらいやるだろうなと(笑)」と伸哉さんは振り返る。
 自分たちも農業に身を置くようになってみると、父の夢がどんどんふくらんでいく理由が分かるようになってきた。「農業は3Kといわれて、儲からない、しんどい、面白くないと思われがちですが、可能性は無限大だなと最近思うようになりました。野菜をつくって売るだけでなく、弟(大輔さん)のような人の力を借りれば加工品をつくることができるし、父がこだわってきたこの土さえあれば、どんな農作物でも、体に良くて栄養価が高いといった高品質を目指すことができます。いろいろな可能性が広がっていることを感じています。だからこそ、ただ継承するだけでなく、より高みを目指したいと思いますね」と伸哉さん。
 智美さんも「新しい世代が加わって、これまでになかったアイデアが出るようになったことで、より良く変わってきている部分もあります」と、継承と進化の両輪で進んでいることを実感。さらに「みんな楽しくが基本。その上で、うちで働くメンバーだけでなくその家族も豊かになれることを目標に頑張っています」。
 大輔さんも「自然相手なのでもちろん大変なことも多いですが、それを上回る楽しさや喜びを知ることができたら、みんなで笑って働けるのかなと思います。今はまだきついイメージが強くて若い子が入りにくいと思いますが、マイナスの先入観を払拭して、うちで働きたいと思ってもらえるような環境を整えていきたいですね」と前を向く。
 「お父さんの仕事ってカッコいいなとか、お母さんはいつも楽しそうに働いているなとか、良いものをつくっているなとか、うちで働くメンバーの家族に誇りに思ってもらえるような会社にしたいですね」という伸哉さんの言葉に、智美さんも大輔さんも大きくうなずく。まだまだ止まることなく、夢に向かって突き進んでいる伸男さんだが、その後にも次々と新しい夢が生まれ、より一層大きく楽しい未来に向かってふくらみ続けている。

アグリ・アライアンス公式サイト
https://agri-alliance.com/

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掲載記事内容は取材当時のものであり、
現在の内容を保証するものではありません。