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ひろしま食物語 ひろしま食物語

世界中の美食めぐり

2022年4月執筆記事

三原市久井町
梶谷農園

梶谷 譲

 フランス、スペイン、イギリス、アメリカ、オーストラリア…「ミシュランガイド」や「世界のベストレストラン50」などの世界的格付けリストに名を連ねるレストランを、父と共に食べ歩いた。
 「食に興味を持って料理人になる人は多いですし、僕も一度はレストランで働いたことがあるんですよ。でも狭いキッチンで一日中働くのが苦痛で…。海外で農家と料理人の距離がすごく近いと感じたことで、料理人じゃなくても食の世界に関われるんだと思いました」そう語るのは梶谷農園の代表である梶谷譲さんだ。最高峰の美食を求めて旅をする中で食に興味を持つようになり、農家と料理人の関わりの深さを知ったという。
 梶谷農園のオフィシャルサイトの冒頭には「梶谷農園社長は日本語が話せないので、現在新規の取材、お問い合わせ電話、新規取引をお断りしています。ご了承ください」というお断りが記載されている。この文言だけでも、一風変わった農園なのかしらという印象を受けるが、そんな「ほかにはない何か」に強烈にひきつけられた料理人をはじめ多くの人たちから圧倒的な支持を得ているのが、梶谷譲さん率いる梶谷農園なのだ。

 譲さんは中学2年生からカナダに留学し、現地の大学に進学、2007年に帰国して梶谷農園を継ぐまで海外で暮らしていた。自身も英語を学びたかったという母のきよみさんの意向もあって、これからは英語を使えるようになった方がいいという両親の教育方針からだった。
 カナダの留学先には大企業の社長の息子をはじめさまざまな境遇の子どもたちが集まっていて、地元にいたのでは決してできなかったであろう出会いや経験は数えきれないほど。「桁外れのお金持ちやスーツしか着たことがないというクラスメイトや、子どもの頃からいろんな友達に囲まれて過ごして、めちゃくちゃ面白かったですよ。農家は僕だけでしたが」と譲さんは振り返る。
 留学生活は充実していたが、留学して間もなく父の満昭さんが交通事故に遭った。一時は生死をさまよったが奇跡的に回復、片足を失い半身不随となったが、5年間のリハビリを乗り越え車椅子で日常生活を送れるまでになった。
 満昭さんに「これから何がしたい?」と譲さんが尋ねると「死ぬ前に世界中のおいしいものが食べたい」との答え。その夢をかなえるため、大学生になると、二人でガイドブックを眺めては、この店に行こう、あの店に行こうと計画を立てた。「赤いガイドブックで星が三つ付いている店がすごいらしいよ」「じゃあ、そこへ行こう! 星三つの店はパリに何軒あるんだ?」「10軒あるけど、どこにする?」「全部行こう!」そうと決まれば譲さんが予約をし、長期休暇などまとまった休みのたびに、一緒に世界中を飛び回った。
 「毎日三つ星フレンチなんてうらやましい! って思うじゃないですか…。でもね、いくらおいしいとはいえ、フランス料理ですから、味が濃いんですよ。毎日毎食そればかり、しかも親父は持病で半分くらいしか食べられないから、僕が1.5人前くらい食べるんです。正直地獄ですよ(笑)」そう言われても、そんな経験をしたことがない身としてはやはりうらやましいのだが、そんな天国のような地獄も、譲さんにとっては一つ一つがかけがえのない親子の時間であり、一口一口が食に携わる者としての学びの蓄積であったに違いない。

 高校卒業当初は、農業に興味がなかったわけではないが、実家の農園はすでに次男の耕治さん(梶谷家は三兄弟で譲さんは三男)が継いでいたため、自らは銀行員や投資家を目指して経済学系のカナダの大学に進んだ。しかし大学在学中に満昭さんと各国を旅する中で「すっかり親父に洗脳されてしまった。レストランめぐりだけじゃなく、農家にも連れて行ってもらったんですけど、その農家がある意味狂った人たちばかりで最高なんです。教科書通りではなく、独創的であるほどシェフに喜ばれるみたいな世界で、夢があるなって。それで、金融業よりも農業の方が自分は絶対に面白いって思うようになったんですよね」。
 譲さんは決心し、満昭さんに宣言した。「俺、農業やる!」。そんな息子に父はこう返した「無理! 無理!」。…えええええっ! 意外なリアクションに譲さんは戸惑ったが、満昭さんからはこんな提案が。「本気で業を目指すなら、カナダに素晴らしい学校があるから、入ってみるか? 3年間だけど、その間必死で頑張れば、今はだめなお前でも、何か通じるものがあるかもしれない」。
 そんな満昭さんの勧めで譲さんが入学したのは、世界中から「植物の達人」が集まる超エリート園芸学校だった。農業を知るには、植物を知らなければならないという満昭さんの助言から、ここで徹底的に植物学を叩込んだことは、のちに農家として料理人とやり取りをする際に大きく役立つこととなった。
 たとえば爽やかな香りで知られるハーブ「レモンバーム(lemonbalm)」は英語だが、学名は「メリッサオフィキナリス(Melissa officinalis)」というラテン語。植物学の世界共通語であるラテン語の学名を理解していれば「メリッサ」で注文が入ってもすんなりと対応できる。植物の学名を理解できることは、スムーズな取引を可能とし、きちんと勉強している農家であるという信頼にもつながり、農業においても強みとなるのだ。

 植物学はもちろんだが、もう一つ、この学校で学び、経営者となった今につながっている大事な教えがある。それは「人の動かし方」だった。
 この園芸学校は、教職員も学生も、ほとんどがいわゆる「白人」。その白人の中でも選りすぐりのエリートが勢ぞろいしていることから、教えの根本が「白人至上主義」に偏っており、極端にいえば「有色人種をいかにうまく利用して白人が上に立つか」という考えが当たり前だったという。
 「謝ったら負けという発想。たとえば僕が何かに対して悪いと思って『ごめんなさい』と謝ると『なぜ謝るんだ? その瞬間に負けだぞ』と指摘される。僕は勝ち負けにこだわっていないけど、彼らは『僕らはエリートだから絶対に謝ってはいけない』という姿勢が徹底していましたね。なんだ、こいつらは…これが白人のエリート教育なのかと衝撃を受けました」。この学校に入るまでは中国人、イラン人、ジャマイカ人などさまざまな人種と共に過ごしてきたため、初めての「白人の世界」で人種差別というものを直接的に体験して「馬鹿野郎、くだらねぇ差別だ」といたたまれない気持ちになった。
 ただ、人種に関わらず、純粋に「いかにして人を動かすか」という考え方や手法については学ぶところが多く、経営者として従業員を束ねる立場となってから、それらが有効であり、生かされていることを実感しているという。さらに、身をもって人種差別を知ったからこそ、外国人労働者を雇う際は彼らの気持ちに寄り添うこともできた。
 在学中、譲さんは観光農園として開放されている学校運営のハーブ農園の管理を担当しており、こういった経験も、現在の農園運営に生かされている。

梶谷農園公式サイト
https://kajiyafarm.jp/

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掲載記事内容は取材当時のものであり、
現在の内容を保証するものではありません。