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ひろしま食物語 ひろしま食物語

アスパラガスにうなされる

2017年3月執筆記事

広島県三次市吉舎町
おかもと農園

岡本明憲・岡本久美

 1991( 平成3 )年、台風19 号が広島を襲った。養鶏場の三棟のうち1棟が倒壊。鶏の救助作業を親戚や知り合いが総動員で手伝ってくれたが、それでも500羽くらいは埋めてしまわなければならなかった。あまりの被害に、もうやめてしまおうかと、明憲さん。その悲壮な決意を久美さんも受け入れるつもりだったが、一夜明けると明憲さんの意思は変わっていた。「自分に経営能力がなくて辞めるのは仕方ないけど、自然にやられて辞めるのは悔しいからやっぱり続けよう」。
 台風被害の後、養鶏、アスパラガス、何で生きていくべきか、日本中を駆け回り情報を集めて試行錯誤した。養鶏を拡大してほしいという話もあったが、莫大な運転資金がかかる養鶏にこれ以上こだわららなくてもいいのではないか、自分たちに合った農業を見つけて精一杯取り組めばいいのではないか、徐々にそう考えるようになり、養鶏がちょうど20年になる節目の1995(平成7)年に切り上げ、アスパラガス一筋で生きることを決意した。
 1993(平成5)年には現在地にアスパラガスを植え付けていたが、より品質管理を徹底するために、1994(平成6)年にビニールハウスを建てた。しかしその年のクリスマス寒波で吉舎町は大雪に埋もれ、一番大きなビニールハウスが倒れてしまった。「建てるときはルンルンだったのに、建てたその年につぶれるなんて、片付ける時は情けなくてね」と久美さんは振り返る。これに懲りてビニールハウスには竹の突っ張りを立て、以来、雪が積もると夜中でも雪を落としに畑に向かうようになった。

 アスパラガスの栽培は長野県が先進県といわれる。三次はそれを手本にし、ほかにも九州、四国と広まっていったが、収量を増やしすぎて、作る人が疲弊し辞めてしまう事例も少なくなかった。他県に見学に行くと、夏には茎(擬葉)が生い茂ってトンネルのようになり、どこに人がいるのか分からないくらい密集しているハウスもあったという。
 当初はアスパラガスはまだ珍しく高価な野菜だった。久美さんも「グリーンアスパラガスは自分で作るまで食べたことがなかったんです。それなのによく飛びつきましたよね(笑)。転作を勧められたときは、アスパラガスは軽くて扱いやすく高収入が見込めるので、高齢者にも適していますよと言われて始めましたが、実際に作ってみると何が何が(笑)」。
 品質はさておき、収量アップだけを追求するのであれば、どんどん肥料を振って水をやればいくらでも生えてくる。おかもと農園でも最初はたくさんとろうとしていたが、朝4時から鶏とアスパラガスの世話に追われ、夕ご飯も鶏舎で済ませてクタクタになって夜遅くに寝に帰るような日々。あげく「夢の中でもアスパラガスがニョキニョキ伸びてきてうなされるくらい」と久美さんは笑う。これでは続かない。
 そんな毎日の中で「うちには、収量を上げればいいという考え方は合わないと思った」と明憲さん。収量アップよりも、自分たちが長く続けられるようなやり方を見つけなければ。最初はあらゆる作業を人力でこなしていたが、二人では限界がある。そこで、収量は減るが、畝幅を広く取って機械を入れ、省力化を図った。
 しかし全国的にアスパラガスは大量生産され、相場は下落。自分たちはどのように生きるべきかと考えた時「選ばれるような良いものを作ろう」「収益を上げるために中間マージンを抑えて直売しよう」という結論に至った。そのような考えに至ったきっかけの一つとなったのが「エコファーマー」の認定だった。これは環境保全型の農業者を認定する制度で、おかもと農園は2003(平成15)年に申請し、翌年に認定された。農薬を減らせば病気や虫の発生率も上がるし、有機肥料を使えばコストも上がる。おかもと農園で使用している有機肥料は、明憲さんが全国を探し歩いてようやく見つけたもの。リスクを抱えながらも手間暇かけてこだわり抜いて作っているのだから、差別化して売りたいと考えるようになった。
 共同選果場に出すと、どの農園の作物も全て混ざってしまう。当時、三次で認証を取っていた3軒のアスパラガス農家で話し合い、分けて選別することはできないかと、農協に掛け合った。何度か試験的に分けてくれたものの、最終的には難しいと判断された。それならば、自ら売るしかない。

 ちょうどその頃、県主催のアグリセミナーが数カ月に1度開催されており、毎回参加していた。そのつながりで、県の農林振興センターから、生産者と農産物を必要としている人が集う「アグリビジネスフェア」というマッチングフェアに出てみないかと声がかかった。
 初参加の時は勝手が分からず印象に残るようなアピールはできなかったというが、それでも名刺交換をきっかけに畑を訪れてくれる人もいて、少しずつ取り引き先が増えていった。直接つながりができることに面白みと手応えを感じ、以来、毎回参加。2回目以降は、アスパラガスが出始めている時期ならそれを持参し、畑の片隅で作っていたサツマイモを焼き芋にして振る舞うなど、PRに要領を得てきた。自ら出ていくことでつながった縁。このころから付き合いが続いている飲食店なども多い。今は直接取引がほとんどで、県内を中心に全国に広がっている。取引を始める前に、興味を持ってくれた人には、畑に来てもらい、その場で食べてもらう。どのような環境で、どのような思いで、どのように作っているのかを知ってもらった上でお付き合いしたいというのが、二人の希望だ。

 徐々に、取り引き先から「アスパラガスのないシーズンも、おかもと農園の野菜を使いたいから、何か作ってくれないか」という要望が増えてきた。そこで、サツマイモや大根、紅カブなども作るようになった。特にサツマイモは岡本さんもイチ押し。「以前から鳴門金時を作っていたのですが、ローカルブランド(一定の地域のみで販売されている銘柄)のため、徳島の鳴門地方でしか『鳴門金時』と名乗れない。品種名の『高系(こうけい)14号』だとピンとこないしと悩んでいたんです。そんな時、宮崎の試験場で新しい品種が誕生したと農業新聞で知りました。これまでの品種よりはるかに甘くて美しいから『べにはるか』と名付けられたというその由来に、とても魅力を感じて。さっそく鹿児島から苗を取り寄せ、試験的に作ってみたところ、とても評判が良かったので、鳴門金時をやめて、べにはるかだけを作るようになりました」。べにはるかは、鮮やかな紅色の皮に包まれた黄金色の果肉がまた美しい。しっとりホクホクの優しい食感、濃密ながら上品な甘さで、幸せ気分に満たされる。

 取引先は個人も多い。久美さんが同窓会で連絡先を配り、友人から、その友人へ、そのまた友人へと広がったネットワークも。「アスパラガスがおいしかったから御礼にと、秋にはお客さまからサンマが届くこともあるんですよ。買っていただいているのに御礼だなんてね(笑)。お手紙もたくさんいただきます。1度に大量に納品するような取引はできませんが、人の輪が広がって、いろいろな方とお付き合いできて、今が一番楽しい」と久美さん。
 アスパラガスは鮮度が命。できるだけおいしい状態で届けたいから、アスパラガスは収穫した日に全て出荷。おいしく楽しんでもらうために、アスパラガスの説明、食べ方、保存方法をリーフレットにまとめ、さらに久美さんが手書きで綴った手紙を一緒に入れている。最初の頃は、それら全てを便せん3枚にもわたって、寝る間を惜しんで久美さんが手書きしていたという。とても好評だったが、顧客が増えるとさすがに難しくなり、リーフレットを活用することに。それでも「一人ひとりに思い入れがあって、お伝えしたいことがあるから」と一筆添えることは忘れない。

おかもと農園

広島県三次市吉舎町丸田504
Tel. 090-9739-0169

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掲載記事内容は取材当時のものであり、
現在の内容を保証するものではありません。