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ひろしま食物語 ひろしま食物語

海からの贈り物

2017年5月執筆記事

広島県呉市蒲刈町
蒲刈町漁業協働組合

兼田治・沖本国男

 蒲刈漁協青年部のメンバーは現在、兼田さんと沖本さんの二人だけ。二人とも40代だ。蒲刈漁協全体では準・正組合員約50人のうち、40代が4人であとは60代以上。漁業就業者の減少と高齢化は日本の漁業において深刻な問題だが、蒲刈漁協も例外ではない。組合員が20人を切ると解散となってしまうため、少しでも海に携われる地元の若者には、漁協に入ってもらうよう働きかけている。
 漁師に定年はない。長年培ってきた経験や誇りは財産だが、伝統や慣習にとらわれすぎると、往々にして、挑戦や改革への道筋を閉ざしてしまうこともある。「若い者のためにと口では言うけど…」と、兼田さん自身、これから蒲刈の漁業を中心となって背負っていく立場として、若い漁師がこれから生きていくためにどうするべきか、今の漁協のあり方について複雑な思いを抱えている。
 たとえば、釣り漁業の漁師と網漁業の漁師による主張の食い違い。蒲刈漁協は9割が釣りの漁師で、残りの1割が網の漁師という構図になっており、網漁師の意見が通りにくくなっているという。兼田さんいわく、蒲刈漁協では釣り漁師は定年後に楽しみで始めた人がほとんどだが、網の漁師はみんな生活がかかっている。

 蒲刈周辺は他地域の漁師もうらやむ豊かな漁場だが、その中でも良い場所は釣りしかできない区域に指定されていて、網の漁師は魚が少ない漁場で取るしかないのが現状。地元の漁場なのに、地元の網漁師がとりたくてもとれないというもどかしい状況に置かれている。にも関わらず、警戒する若者がいないため、夜になると他地域から侵入する密漁の嵐で持って行かれ放題。そんな理不尽な事態に「自分らの漁場だというなら、自分らの海くらい自分らで守ってほしい」兼田さんのいら立ちは募る。今後、蒲刈で漁師が釣りだけで食べていくのはとても厳しい見込みで、漁師が生きていくには網の漁が必要となっている中で、もっと網漁師の意見を尊重してもらいたいという。
 「漁業権」という言葉をご存じの方も多いと思うが、漁というのはどこでも好きなようにできるわけではない。現在の日本では、漁協が都道府県知事から認可を受けた上で、一定範囲の区域でのみ漁獲行為が可能となっており、さらに、その区域内で漁をするにも、漁業者それぞれが刺し網、手釣り、たこつぼなど個別に漁法の許可を得なければならない。漁業権は漁協が申請するため、組合員の合意を得なければならないが、少数派の網漁師の意見がなかなか通らないことが、兼田さんをはじめ網漁師にとって悩みの種となっているのだ。漁業権の切り替えは10年に1回。チャンスが少ない分、1回1回の申請にかける望みも強くなる。

 蒲刈の漁師が今後生きていくために本当にいい環境をつくらなければならないという使命感から、兼田さんは漁協の役員になった。「自分個人の仕事ばかり考えず、漁協本体を変えないとどうにもならんと思って。わし自身が漁業者じゃけん、このままじゃ自分にもいいことがないよね。個人では限界があることも、漁協だからできることもあるし。漁協を変えるにはトップになるしかないと思って、実は組合長になろうと本気で思った時期もあったんよね。でも組合長になったら当然漁協の仕事が中心になる。そうすると自分の仕事ができんようになる。わしらみたいな働き盛りには難しいんよね。本来なら、時間的にも余裕があって、漁業者の現状に目を向けてくれる人が引き受けてくれるのが理想なんじゃけど。嫁にも『まだ早い』って止められてね(笑)」。自分のためだけじゃない、蒲刈の漁師が生きていくため、蒲刈の漁業の未来のため、時には厳しい言葉で、強い態度で、長い間、懸命に訴え続けてきた切実な思いは少しずつ伝わり、最近では理解者も増えてきているという。この話を聞いた少し後に、代表理事組合長に就任した。

 もし、いつでもどこでも好きなだけ魚が取り放題であれば、先に述べたような漁業権の問題にも、もっと余裕で構えていることもできるかもしれない。そうはいかない大きな理由の一つが、海を取り巻く環境の変化だ。魚が取れなくなってきていることは、言うまでもなく漁師にとって死活問題である。
 「30歳くらいのころは、わしは漁師になるために生まれてきたんじゃっていうくらい自分に自信があった。あの頃は怖いものなしで、取りに行く前から不安もなく、必ず取っちゃろう、行けばいくらでも取れると思うちょった。それが今は出てみんと分からん。取っちゃろうと思って行ってもおらん。完全に狂ったよね。おらんでもともとと思って行って、やっぱりおらんかったっていうならあきらめもつくけど、よし! 今日はあそこで取っちゃるぞ! と思って取れんのはさえん。計算が立たなくなって、海が分からなくなって。瀬戸内海におらんかった魚が入って来たり、この時期におるはずの魚がおらんかったり、今までやって来たことが通用せんようになって」と兼田さん。ベテランの漁師からは「海がきれいになりすぎて、大事なものまでなくなっている」という声もあるそうだ。

 2008年に、蒲刈と隣の豊島を結ぶ豊島大橋が完成したが、それから周辺の海が一変したという。兼田さんいわく「橋桁1本入れただけであんなに変わるものかと(驚いた)。海に物を置く時は必ず漁師が保証金を求めて問題になるけど、身に染みて分かったね」。利便性や快適性を追求しすぎて自然に無理を強いた結果、自然はバランスを崩し、その報いを今私たち人間は受けている。兼田さんたちは最前線で自然と向き合う漁業者として、海の声に耳を傾け、海の姿を見つめ、もう一度、海を理解しようと必死で力を尽くしているのだ。
 「漁師は汚れじゃ、馬鹿じゃと思うこともあるけど、やっぱりわしは漁師は馬鹿にはできんと思う。あれだけ広い海の全てを、体と頭に叩き込むわけじゃけぇね。親は財産も何も残してくれんかったけど、漁師という『器』『血』を残してくれたことには感謝しとる」と兼田さん。沖本さんも「『師』が付く職業は誰でもかれでもできるもんじゃないと思う。漁師もその一つ」と言う。漁師として生きる張本人たちが、自らの仕事に胸を張る。なんて清々しく頼もしい光景だろう。

 天然の魚が減ってきている中で、養殖について聞いてみると「養殖はとれなかったということがないから計算が立つし、最近は味も良くなっているから、どうしてもそっちに目がいきがちよね」と理解を示しながらも、自ら養殖業を始めることは「考えていない」と言い切る。これから始めるには投資やノウハウの蓄積などリスクが高すぎるということが大きな理由だと言うが、幼い頃から大好きだった海とずっと真っ直ぐな思いで付き合ってきた兼田さんにとって、ありのままの海の姿を受け入れ向き合っていきたいという、どこか譲れない気持ちや決意のようなものもあるのかもしれない。自然の厳しさに魚がとれることの有り難みを教えられ、兼田さんが提供するすべての商品には「海からの贈り物」という言葉が添えられている。「海にあるものは何でもわしらにとっては宝」そんな感謝の気持ちを胸に、兼田さんは今日も沖本さんと共に「隆神丸」で海に出る。自然の厳しさに学び自然の贈り物に救われる。

蒲刈直売所「潮騒の館」

広島県呉市蒲刈町宮盛1320-15
Tel.0823-66-1137
営業時間/8:30~18:00
定休日/火曜日

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掲載記事内容は取材当時のものであり、
現在の内容を保証するものではありません。