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ひろしま食物語 ひろしま食物語

父が通った道を、今日も走る

2019年11月執筆記事

庄原市比和町
白根りんご農園

白根浩治

 白根りんご園は浩治さんの父和幸さんが開いたのが始まり。祖父の代から米作りと養豚に従事していたが、年を重ねると養豚は体力的に厳しくなる。そこで堆肥が手に入りやすく所有する土地も有効に使えるという条件を生かして、桃、梨、白菜などさまざまな農作物を作付けしたところ、たまたま枯れずに残ったのがりんごだった。少しずつ本数を増やして販路を開拓し、りんごだけでも賄えるめどが立ったことから養豚をやめて、りんごを専業に。最後の豚を出荷したのは2003(平成15)年のことだった。

 直売を始めたのも和幸さんだった。今のような店構えではなく袋詰めし並べるだけの簡単なスタイルだったが、おいしいりんごを食べてもらいたいという和幸さんのこだわりと、決して饒舌ではないけれど、来てくれるお客さんをもてなす気持ちが、白根りんご園のファンを徐々に増やしていった。
 浩治さんはこう振り返る。「父は納得のいかないりんごは売らないというこだわりがすごく強かった。商売として考えるなら品質があまり良くなくてもいかにビジネスに転換するかという発想も大事なのでしょうけれど、父は儲けが多い少ないは気にしない。良いものを食べてもらえばまた来てくれるからと。だから売らない大量のりんごを牛飼いさんに譲っていました。今でも父のお客さまが来てくれますし、そういったお客さまは台風などで不良の年にりんごが出せなくて迷惑をかけても、有り難いことに理解してくれます。父が良心的に積み重ねてきた信頼の大切さが今ようやく分かってきました。父の豊富なサービス精神は見習うべきだと思っています」。

 そんな和幸さんも、浩治さんが就農して共にりんご栽培に勤しみ3年が過ぎた頃、スッと身を引き、以来、一切口を出さなくなったという。「お父さんいる? とお客さまが訪ねてくるのでは、いつまでたっても『和幸さんのりんご園』のまま。それでは僕らのためにならないからと、僕らを前に出すために父は引いたのだと思います」と口には出さない親心を浩治さんは受け止めている。

 浩治さんが脱サラして就農したのは27歳の時。浩治さんは比和町生まれ比和町育ちで「田舎育ちなので、中学を卒業すると、福山(市)でも広島(市)でもいいから、とにかく町を出たかった」。和幸さんは大学まで通わせたいと考えていたようだが、浩治さの気持ちを尊重して福山の職業訓練校に通うことを許してくれた。
 1年間、大工になるために技術を学んだが、中卒で就職する子どもは多くはなく、高校に進学した同級生は10代真っただ中の遊び盛り。職業訓練校で共に学ぶのも高卒や社会人といった年上ばかり。友達がうらやましくもあり、大人たちと肩を並べて働くのはまだ早いと考えた浩治さんは、地元に帰ることを決めた。

 1年遅れで入学した高校生活を満喫している最中、浩治さんが2年生の時に入学してきた2歳年下のかなさんと出会った。「僕はおふくろがいなくて一人っ子だったので、とにかく早く結婚して家庭を持ちたいという願望が人一倍強かった。そんな時に彼女と出会って、初めて彼女の父親に会った時に『結婚します!』なんて言って、どえらい叱られました。本当に怖かったです(笑)。本当はすごく優しい人で、今は良い関係ですよ。今の僕が、その時の彼女の父親と同じ年なのですが、自分も4人の子を持つ親として、そりゃ怒って当然だなと」と苦笑い。
 というわけで、浩治さんの中で、結婚する→働かなければならない→高校を辞めるしかないという方程式が成り立ち、かなさんと共に高校を中退。浩治さんは地元の建設会社に入り、かなさんはガソリンスタンドでアルバイトをしながら、4年ほどの交際期間を経て、晴れて結婚の夢をかなえた。今では4人の子どもに恵まれ、にぎやかな家庭を築いている。

「子どもの頃は世間知らずにも程があるくらい無知で、自分が何でごはんを食べているのかすら知らずに生活していました。一人っ子の長男だけど家業を継ぐ気はなく、ろくに手伝いもせず、町を出たいばかりで。父が疲れたと言うと、なんでそこまでしないといけないのか、やめればいいのにと平気で言っていましたから。自分が働くようになってからようやく、米や豚やりんごで生計を立てて食べさせてくれているのだと有り難みを感じるようになりましたね。りんご園までのあの道が、自分が毎日通う道になるとは思いもしませんでした」。

 建設会社勤めにも慣れ、この先もずっと同じ会社で頑張っていくつもりだったという浩治さん。その間、台風や大雪でりんご園も多大な被害を被った年もあり、年を重ねるにつれて和幸さんの口からも「やめたい」という言葉が漏れ聞こえるようになった。それでも和幸さんは一度たりとも浩治さんに「継いでほしい」とは望まなかったが、毎年のようにやめたいとこぼしながらも続けていたのは「今思えば、もしかしたら子どもがいつか継ぐかもしれないからと、なんとかつないでくれていたのではないかと思います」。

 ある日、いよいよ体力的に限界を感じた和幸さんは「(りんご園を)やめるか、(浩治さんが)継ぐか」どうするかを浩治さんに委ねた。和幸さんの背中を見てきたから、りんご園を営むことが楽ではないことは重々承知。でも「父がそう話してくれたので、これが転機かなと思いました」今までりんご園をつないでくれていることも有り難いことだと受け止め、2~3年の熟慮の末、10年間お世話になった建設会社を退職した。

白根りんご農園公式サイト
https://shirane-apple.com/

白根りんご農園直売所

〒727-0312 庄原市比和町木屋原819-2
Tel.0824-85-2482

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掲載記事内容は取材当時のものであり、
現在の内容を保証するものではありません。